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「私に課せられた役目は、今までの職務を通じて得た経験、知識、それから生のマーケット情報などを生かして、マーケティングの時代にふさわしい政策決定に寄与することだと思う」N。 「N銀の金融オペレーションは、なるべく裁量の余地を減らしてルールを明確にした上で、市場参加者に十分納得してもらうことが必要だ」最後がS。
「かってM春雄総裁が日本銀行百年史で福沢諭吉の『奴雁(寒い夜に餌を啄む雁の群れにあって、一羽だけ首を上げて四方の番をする雁のことこを引用してN銀に見立てた。 新しいN銀がスタートする時に、この『奴雁』を振り返るのが素晴らしいことではないか」初々しさと、一種の新鮮な力みも伝わってくる発言だ。
記者からの質問が、月並みな抱負から、各審議委員のスタンスを探るための景気の現状と金融政策のあり方へ移ると、早くも違いが表れた。 どの時点で(公定歩合を)上げるかというタイミングは非常に難しい。
そのタイミングを如何にして見つけるかが政策委の役割ではないか」。 控え目どころか、初日からNらとは対照的に、将来の引き締めを模索する意志を示した。
前述したように、金融政策の運営で、緩和論者をハト派と呼び、引き締め論者をタカ派と呼ぶ。 一見したところ、女性でソフトなSがハト・タイプで、空手の達人でもあるNや、もみ上げが見事な三木らのほうがタカっぽく見える。
だが、政策論では逆なのだ。 もっともSも筋金入りの「闘士」だった。

大学卒業後、新聞広告を見てN研究センターに入社、自ら研究者への道を拓いた努力家だ。 入社後、センター職員の処遇が親会社出向の社員との間で大きな格差があることに憤慨、労働組合を設立、自ら労組委員長となって、待遇改善を実現させた経歴の持ち主でもある。
家計、消費者の視点で、「是は是、非は非」とするSは、ゼロ金利から量的緩和策を一貫して主導していったNのライバルの一人となる。 Tはハトとタカの中道を模索した一人だ。
退任後に「残された金利は○・五%しかない。 これをどううまく使うかだった。
非伝統的な政策を心の抵抗もなく言える人はいいが、私はできれば伝統的政策の範囲内で何とか考えたかった」と語っている。 GもTへの共感を打ち明ける。
「金融政策については、僕の考えていること、あるいは感じていることと、Tさんは似ていると思ったことが多かつUは伝統的政策も非伝統的政策も踏まえながら、理論と実践の一致点を意識した立場を築くことになる。 先導者のような、中間者のような位置づけか。
勝手にランク付けをすると、Sがタカ派で、超ハト派がN、中くらいのハト派がM、中間派がG、武冨、ハト的な中間派がUということになるだろうか。 八日にはそのUが正式に審議委員に任命され、新N銀法下での政策委員会を構成する第一期生が出そろった。
早速、翌九日に、新メンバーによる最初の政策委員会の政策決定会合が開かれた。 前章で見たように、N銀は旧法下の一月から、試行的に新スタイルでの政策委会合を始めていた。

これまでに計五回。 内外経済情勢の報告・分析、各委員の意見表明、委員会としての検討、採決、という手順で、採決はいずれも、「無担保コールレート翌日物を、平均的にみて公定歩合水準(○・五%)をやや下回って推移するように促す」という現状維持を全員一致で採択していた。
メンバーを一新しての本番、第一回会合。 政府委員も蔵相の松永光、経済企画庁長官の尾身幸次が自ら出席した。
冒頭、両大臣はともに「金融政策と政府の経済政策の基本方針との整合性の確保の重要性」を強調した。 新N銀法は第三条で金融政策運営におけるN銀の独立性を明記する一方、第四条で金融政策と政府の経済政策の整合性をとることをうたっている。
Nは九七年四月の消費税引き上げなどの影響で実体経済が急速に悪化していた。 同年十一月にはH銀行などの連鎖破綻による金融システム不安が起き、さらにアジア通貨危機の影響も加わり、未曽有の危機的様相を呈して年を越した。
新年度に入っても不安定さは隠し切れていなかった。 事実、政府はこの日夕刻、総額十六兆円規模の総合経済対策の基本方針を発表、景気の底割れ防止に必死だった。
両大臣の発言は、法律を踏まえた型通りのものではなく、現実的な要請でもあった。 この第一回政策決定会合から、H時代が終わる一○○三年三月四、五両日の第八十九回会合まで、政策委では、「金利の引き上げは採り難い選択肢である」とする一方で、「一段の金利引き下げには慎重にならざるを得ない」との見方で全員が一致した。
現状維持である。 「○・五からの出発」はこうして始まった。
ただ、すでにこの時でも、ある委員からは金利引き下げだけでなく、マネタリーベースなどの量的金融指標を目標にする案も検討の余地があるとの見解が出されている。 三年後の一○○一年三月の量的緩和策への転換の芽を思わせる。
次項で見るように、これはUの発言とみられる。 政府とN銀の関係について、初日の印象をSはこう語っている。
「特に尾身長官は、経済政策は自分(政府)の担当だという意識を満身にたたえ、その威圧的な話しぶりには圧倒された。 N銀が独立し、金融政策の決定権限は政策委員会に移ったが、「簡単にはそうさせないぞ」という緊迫感を感じた。

政府の存在感はなんと大きいのかと、その時感じた」Uは第一回会合の後、週明けの四月十一日に就任記者会見に臨んだ。 政策決定会合の前後一日ずつはブラックアウト(報道陣との接触を禁じる管制措置)にかかるためだ。
金融政策の焦点は一貫してデフレ対策に絞られることになる。 第一回会合でも、Nがデフレ・スパイラルに入っているかどうかが議論となった。
結局、「経済活動全体の下押し圧力は強い状況にあるが、デフレ・スパイラル顕在化のリスクは今のところ差し迫ったものではない」との見方が大勢を占めた。 デフレを意識しつつ、まだ足元は大丈夫という思い。
N銀執行部は○・五%(翌日物は○・四%前後)の金利のノリ代を極力死守したいとのスタンスがありありだった。 Uはこの時以外にも通信社のインタビューに答えて、円安基調の為替相場の評価を問われた際にも似たような経験をした。
相場の見方として、プラスマイナスの可能性を示した後、「数円くらいの動きであれば許容される」との趣旨を語ったところ、円相場はすぐに一、二円動いてしまった。 「これは難しい仕事だ。
大学教授と違って、迂闇にモノが言えない」と、Uは口元を引き締めた。 加えて、「学者的表現」として、マネタリーベースかマネーサプライを政策目標とするアイデアを披露した。

当時、マネタリーベースの伸び率は一○%前後だったが、この目標水準を一五%にし、その実現のための金融調節をとる案だ。 いずれも、金融論の主流であるマネタリストの理論からは当然の選択肢であり、第一章でみた「岩田・翁論争」でUが示した裁定にも沿う持論であった。
しかし、会見内容が報道されると、ユーロ円金利がすぐに反応して下がった。 追加利下げを越えて、一気に量的緩和に転じるのではと市場が読んだ言したような発言だ。
ここでのUの発言は、本人が思う以上に、市場とN銀を微妙に揺さぶった。


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